わたしの落合町誌/風物語 2025年03月10日 風物語過去は未来を照射する。わが目をうたがったコンサート。下落合、タヌキの通い路。研師という仕事。邪魔するんじゃないよ、どきな!溶けた十銭銅貨。「下落合みどりトラスト基金」について。テレビが映らないんです。認知された下落合ダヌキ。目白駅に残る階段の匂い。消えた武蔵野鉄道「上屋敷」駅。いつも垢抜けない高田馬場駅。さまよえる不動谷。タカタノババと「タカダノババ」。タヌキ君は意外に大きい。この眺めを失いたくない。とうとうわが家にもタヌキが出た。学習院馬場の白馬。「ミーム理論」と街の遺伝子。空襲下、非国民のダンスパーティが始まった。この踏み切りがわからない。「有りもせぬことを言触らすと処罰されます」。住民に罵声をあびせる「説明会」?つぶしてしまおう、「補助73号線」計画。「徳川邸」へいらっしゃい。昭和初期の下落合広告「大黒葡萄酒」。昭和初期の下落合広告「落合信用組合」。戦後すぐの下落合広告「ミツワ石鹸」。戦後すぐの下落合広告「三越」。戦後すぐの下落合広告「虎屋黒川」。戦後すぐの下落合広告「日本麦酒」。ページ全段が不倫騒動の朝日新聞。運営費の削減にご協力を。謎が謎よぶ鼠山。大きくなった下落合ダヌキ。感応寺はほんとうに「官能寺」だったのか?高田馬場に血煙は立ったか?70年前、大雪の下落合。気になる文化村風景。椎名町のみなさん、ありがとう。まぼろしの目白「戸田邸」を見つけた。空襲直前の下落合・1944(昭和19)。空襲直前の目白文化村・1944年(昭和19)。これじゃ、ちょっと気づきません。ローカリズムを突き詰めると・・・。上落合は芸術のルツボだ。下落合の大六天と第六天。散歩してると牧場に出合える町。『池袋モンパルナス』を城西学園で観た。鶴田吾郎のアトリエが消えた。中井のみなさん、ありがとう。タヌキの赤ちゃんばかりじゃないよ。なにが消えたか、なにを残すか。中国語と石が飛びかう目白通り。川島芳子もいた妖しげな下落合。下落合駅の小林多喜二。むかし聞いた足音が聞こえる。池上から目白までつづく光の帯。鶴田吾郎の地蔵堂アトリエ写真。東京市街から見た文化村イメージ。洗足田園都市と目白文化村。牛乳瓶の鳴る音とともに。目白駅近くの「サイタ」さんの庭にて。薬王院門前のクリスマスツリー。「赤い鳥社」発祥地はライトの小路だった。目白通りにいた麗子。岸田劉生に褒められた村山知義。さようなら、パンの「神田精養軒」。こんにちは、「ローリングピン」さん。すぐに「なぐってやる!」の岸田劉生。村山籌子は夫になんと罵られたのか?東亜同文書院の尾崎秀実とゾルゲ。御船千鶴子が目白にやってきた。画家たちへの奇妙なアンケート調査。長崎町の新年凧揚げ大会。今度は校庭で投石合戦なのだ。火事をさえぎる大イチョウ。“中年殺し”の歌なのだけれど。孫文が潜伏した長屋門屋敷。「東亜同文書院大学」展へ出かけた。“フーテンとしゆき”の頭が白くなる文章。昭和初期の下落合ブームは?こんにちは、メーヤー館。新宿で暴れた武家の代償。妙正寺川の水源に架かる落合橋。ピンポンダッシュの三角アトリエ。どこまでも歩け歩けの壺井栄。黒めがねの旦那の「パリ正宗」。キングミルクが人気の安達牧場。上落合「大分村」の吉武東里邸。40年後にきた尾崎翠の衝撃。不可解な尾崎翠の「旧居跡」。湘南で踊る自由ヶ丘学園のみなさん。上落合850番地の尾崎翠宅を拝見。納豆と清水で結核は治るか?目白にもあったオール電化の家。郊外へ郊外へ大正の田園生活。吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(上)吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(下)旧山手の西片町を歩いてみる。大泉学園の街を歩いてみる。ここまでパクるか「あめりか屋」。化粧室を夢みる彼女たち。町火消しに「へらひ」は当然あった。江戸の「すき焼き」と明治の「牛鍋」。「日本は敗ける」と海軍将校は言った。昭和初期のキッチン革命。小林多喜二にチケットを渡したのは誰?深夜の街からこんにちは。人がよく死ぬ明治時代。貴重な街並みを実感する日々。散策マップへちょっとイタズラ。いよいよ写真展が始まる。目白・下落合の写真展がスタート。写真展が終わってしまった。「歴史的建物のある散歩道マップ」Update。ダイクストラのシベリウスが素晴らしい。秋のそよ風に漂うコールタール。肝だめしでは見えない三宝池の美。「知りたい知らせたいコンサート」in下落合。目白駅を出たら100mの鉛筆ビルだって?明治から東京人のあこがれ・大磯。大滝も池もない角筈熊野十二社。特報!タヌキの森裁判が全面勝訴。33年ぶりにこんにちは、ミツワ石鹸。ベトナム解放闘争と下落合・東京同文書院。広い東京恋すりゃせまい。近ごろの大学はちょっと変。水道料金が31%値上げのパニック。タヌキの森の両義性に象徴されるもの。画家たちが見た二二六事件。しつこいですが東京大空襲64年目。豊島区にお詳しい“オジサン”は誰?気になる東京路上の↑マーク。小雨が降りそぼる青山の夜は・・・。ガブ好きにはたまらない鬼子母神。“風”が吹いている生活空間。青山の女子学習院を見学する。絶滅危惧種のウグイスとトンビ。昭和初期のバス通りの風景。帝大地下室で待っていた宮武外骨。戦争がしのびよる旧・椎名町界隈。場所不明な昭和初期の界隈写真。あまり見かけなくなった絵画教室。打ち上げ花火を気にする世代。下落合を吹きぬけた嵐。ご近所の富士山へ登ってみる。68年ぶりの再訪・明治新聞雑誌文庫。戸山ヶ原にあった怪人二十面相の隠れ家。つぶしてしまおう「補助73号線」再び。岸田劉生が描く銀座カフェ「KUMOTORA」。特報!最高裁で下落合住民側が全面勝訴。そんなに「高」くしなさんな。前掛けキャンバスに描かれた雲龍図。「橘」薫る東日本橋の風。すべての日本地図の水準原点標。ソースカツ丼と和風カツ丼の物語。開発が進む昭和初期の長崎界隈。下落合の水車小屋は大丈夫だった?映画「洛西館」の前にあった町内運動場。「久保」や「窪」の地名から見えること。「標準語」は東京弁じゃないってば。300万人のご訪問ありがとうございます。補助73号線のために中央図書館がどく?長崎物語の糸が結びついていく。アユがカムバックしはじめた神田川。山東京伝の「青」と養殖うなぎの「アオ」。佐多稲子のルポ・戸山アパート1953年。平和博文化村のモデルハウス14棟。早稲田通りから下落合が見えない。あなたは、嘘ばかりついてゐました。セイヨウタンポポを描く尾形光琳。将門の繋馬羽織で「祟られ」た旗本。岸田劉生が洛西館へやってきた。南房総へ惹かれる画家たち。旧・陸軍東京第一衛戍病院へ入院しよう。シュールな寺田政明と「田所博士」。不可解な諏訪通りガードのトンネル工事。人気で大混雑の美術展覧会。戸山ヶ原へもう少し深入り。久しぶりに馬の匂いをかぎたくて。補助73号線で消える風景。(下落合編)戸山の軍医学校へあとちょっと深入り。大久保射撃場の設計図を入手した。できたて大久保射撃場の落書き事件。目白にあった八甲田の雪中行軍写真。劉生日記にみる関東大震災の予兆。あまりにもリアルな貝原浩『風しもの村』。画家たちのDV(家庭内暴力)。明治期にみる江木写真館の仕事。「蕎麦食いねえ」の国際聖母病院ゲットー。関東大震災について書きためた記事を整理。鉄道停車場の反対運動あれこれ。早稲田大学にだまされた岸田劉生。大震災復興絵葉書にわが家を見つけた。猛烈なスピードの大震災鉄道網の復旧。軍馬「保管」ならエサ代ぐらい出してよ。400万人のビジターのみなさんありがとう。劉生のカモネギになった斎藤清二郎。熊楠と晩花と外骨と龍門と。置行堀のオバケとバッケとボケとフキ。空襲に備えた「淀橋区建物疎開地区図」(秘)。武井武雄が記録した空襲怪談・異聞。明治期に撮影された空中写真。高峰秀子がくぐる「浮雲ガード」。「大神X」のオオカミちがいにがっかり。円朝が語る百物語の内藤新宿。樹齢数百年の大ケヤキが折れた。欧米の発明家を称揚する『日本鉄道物語』。椎名町と下落合界隈の「グラビアアイドル」。無事に戦後を迎えられただろうか?解体した屋根が元にもどせないんです。大震災で露呈した政府システムのBCP欠如。めぐみ深川情け有馬の水天宮。「Chinchiko Papalog」をや~めた!戦後は一気にはじけた若者たち。戦後と見まごう黒田小学校卒業アルバム。どこだか不明な下落合の祭礼写真。嵐の前の静けさが漂う雪景色・椎名町。娯楽はなんでもありの演芸場「目白亭」。黒田清輝の裸体画を拒否した東京メトロ。大江戸の水道インフラと「名水」井戸。戸塚町諏訪66番地の松浦武四郎。「草津温泉」と一般銭湯とのちがい。『新・東京大観』でパスされた落合写真。五月のそよ風はゼリーにできない。顰蹙をかった乃木希典院長の講義。武蔵野鉄道もセメントを運びたい。怒る秦早穂子の「勝手にしやがれ」。下落合まであと一息のアユの遡上。津波被害が透けて見える東京大洪水。目白の戸田邸は大温室が自慢。雑司ヶ谷鬼子母神と富士見茶屋。高田馬場駅発の小田急線狛江行き。湘南に上陸するマリンコングのトラウマ。『雑記帳』にみる下落合の因業不在地主。舞台で憑依したアンナ・パブロワの幽霊。バスガールたちのデモを襲った警察は?目白通りを往来した伊藤ふじ子。漫画講座まであったプロレタリア美術研究所。江戸東京の3大水菓子パフェ店について。大正時代にもあった省エネへの取り組み。美術家たちを惹きつけた藤川アトリエ。蕎麦いらぬ「うなぎ」入谷の鬼子母神。『高田村誌』と『高田町史』との間に。雑司ヶ谷の坂を下る山田五十鈴。バラック装飾社と今和次郎の仕事。きれいな神田川でさっそく水遊び。膨大な作品が欠落したままの漫画史。落合町防護団の分団名簿をいただいた。星野家に残る目白文化村の空襲記録。早稲田大学のみなさん、ありがとう。杉並へ移る画家、杉並から帰る画家。なんてこった、まったくなんてこった。もう少しで消えそうな「もしもし」。アクセスランキングにみる記事ベスト10。昭和初期の散策・ハイキングブーム到来。上落合から六番町への大熊喜邦。みなさん、お送りいただきありがとう。久しぶりの多摩湖でコンクリート散歩。久しぶりの“ももんじ屋”で舌鼓。非「動」的な本とリンゴ本大作戦。佐多稲子のルポ・東京遊覧バス1988年。高田馬場風景を連作した横井礼以。中井英夫とわたしの西荻感覚のちがい。静物画がオバケになってしまう小出楢重。さようなら、「カフェ杏奴」さん。二二六事件の朝は電車が動いていた。水不足に悩んだ神奈川県の象徴。JAZZめぐりと丘上散歩の学生バイト。だらだら芝神明の熱い大喧嘩。陸軍士官学校で配られた写真。(1)陸軍士官学校で配られた写真。(2)陸軍士官学校で配られた写真。(3)陸軍士官学校で配られた写真。(4)陸軍士官学校で配られた写真。(5)陸軍士官学校で配られた写真。(6)江戸時代から96年間の1月22日。我孫子へ出かける洋画家たち。プロレタリア美術家たちが描く「風景」。三岸好太郎が描いた妙正寺川。三岸好太郎と家庭購買組合。大正時代に流行った興信所の仕事。三岸節子の狐塚下宿跡を訪ねる。大磯の三岸節子アトリエを訪ねる。落合第四小学校の学童集団疎開。1930年協会から独立美術協会へ。波乱万丈だった聖母坂のパン屋さん。日本初のマンガ講座講師は八島太郎。目白の怖い夜。音楽好きな“タッタ叔父ちゃん”の最期。ハツタケと赤ワインは合うだろうか。二宮尊徳の貯金箱と三岸好太郎の蝶。画家たちの第一歩を伝える『中央美術』。強固な“女縁”は終生つづく。目白駅周辺で目撃された中国兵。85歳の小島善太郎へ檄を飛ばす里見勝蔵。ルンバもサンバもボサノバもある珈琲。街の風情という「景観法」の視座から。鬼頭鍋三郎と柳瀬正夢はアトリエ隣人。ブログ9年・過ぎし日々のセレナーデ。深夜に聴く小学生のあこがれサウンド。神田川(外濠)を下って大川(隅田川)へ。空襲で全焼した井荻の外山邸。下落合の旗行列と提灯行列コース。旧乃手で見かける町火消しの事蹟。いざ生きめやもの宮柊二。松下春雄の『庭先』と大澤海蔵の『初秋』。「ぶつた斬つて見ろ」と潮五郎はいった。標語「アメリカ人をぶち殺せ!」の1944年。古墳だらけの谷端川・小石川流域。頻繁に登場する富士見高原療養所。下谷(上野)の「うまいもん」めぐり。もはや建設理由がない補助73号線。三岸好太郎と中村伸郎と向田邦子。泣いてたまるかの八島太郎(岩松淳)。「なめくぢ横丁」の名づけ親は誰か?マリ子ハ御宅ヘ遊ビニ来ヌ。海の匂いがする笠原吉太郎『房州』。墓参りで散策する小日向第六天町。全方位マーケティングの日本橋三越。「文化生活」の丸ごと提唱雑誌『住宅』。落合地域も得意先だった浅尾沸雲堂。大家にめぐまれれた中野重治。『蝶と貝殻』の面白さと美しさ。昔とはちがう現代学生気質(かたぎ)。『住宅』1935年2月号にみる三岸アトリエ。豊島区が記録したプロレタリア美術学校。『長崎町誌』に感じてしまう違和感。飯野農夫也の“なめくぢ横丁”生活。陸上の游泳演習にこだわる陸軍戸山学校。隣りの席だった寺崎マリ子。国家による身近な“これでもか”統制。ヤギ牧場と家族は1トン爆弾で消えた。宮崎モデル紹介所の物語。(上)宮崎モデル紹介所の物語。(下)美術研究所に架けられた黒澤明の300号。先端マネキンガールたちのストライキ。エスカルゴは夜明けの海を何度見たか。「ハチキレさうに肥えた子供」は健康的か?和宮の身代りと目白の新倉家。(上)和宮の身代りと目白の新倉家。(下)『武蔵野』と『武蔵野夫人』のリアリティ。幻の最高峰だったアムネマチン。さて、西洋館のお掃除がコマッタ。動物ビジネスが盛んな目白界隈。牧野虎雄のタコ揚げ場所は?川村女学院の「♪お帰りなさいませ~」。ネコ5匹と暮らすアル中の甲斐仁代。昨年の秋から今年の冬への徒然。洗足田園都市は消えていない。1945年(昭和20)3月10日午前0時8分。関東大震災の渋谷丘陵にみる震動。岩松淳(八島太郎)と飯野農夫也の漫画論。誤爆だらけのドーリットル隊初空襲。昭和初期の投機的なハト狂想曲。大正期のニンニク療法とサプリメント。児童文学の宝庫としての三岸アトリエ。目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(上)目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(下)大震災まで賑わった両国広小路。けしからぬ大正時代の事件いろいろ。「どんど焼き」=「せいとばれえ」と街道名。炎が火焔放射器のようにやってくる。夏は潮風と火薬までが匂った。鉄道を敷設しないなら免許取り消し。目白崖線の入江と貝塚と「白鳥池」。家内が修羅の中條百合子邸訪問。『新宿区の100年』の修正箇所3つ。時代劇の映画ロケ隊はどこから?どこへもどるのか上落合「もどり橋」。白蓮が火をつけた大正期の離婚論議。有楽町で逢いたくなんかないわ。お岩さんの家は目白のどこだ?江戸川乱歩の転居先を追いかける。戸山ヶ原で生まれた「陸軍中野学校」。古いアルバムを眺めていると。煙突の形状が気になる陸軍科学研究所。大磯のヨハンセンを諜報・監視せよ。居間や応接室には全集本があった。事故が頻発していた陸軍科学研究所。戦前のアルバムにみる日本橋の人々。大正期からの神高橋はなぜ斜め?戸山ヶ原の陸軍科学研究所跡を歩く。江戸東京方言でも七は「ひち」だ。外では「虚空」を貫いたポルカ老人。「鶏鳴坂」に朝霧がたなびいた。大正中期の目白駅前にあった店舗。生産過剰だった関西セメント事業の消費先。戸山ヶ原で遊ぶ上落合の子どもたち。「新道」は「じんみち」ではないかと。杉並区和田堀にあった「小唄学校」。鷺宮の小泉清アトリエを拝見する。秋山清のヤギ牧場と裕福な「乞食村」。チャコちゃんが池袋にやってくるまで。神田川で泳げる日はいつごろか?大橋の橋桁崩落からもうすぐ120年。「赤線」がもらえた水練場の進級試験。大久保文学倶楽部と洋画展覧会。下落合の製本工場が支えた円本ブーム。池袋西口の酒場「炎」のゆくえ。新宿区が補助73号線を実質止めた?西北の曇天に黒い旗がはためくを見た。大ヒットした陽咸二の南京豆芸術。(上)大ヒットした陽咸二の南京豆芸術。(下)釣りはフナにはじまりフナに帰るものか。江戸期へたどるニホンオオカミ伝承。目黒鬼子母神の正岡と大塚山の墳丘。「眉目秀麗・挙止端正」な画家・田口省吾。郊外へとつづくトンネルはあったか?(上)郊外へとつづくトンネルはあったか?(下)長崎で焼け残ったクサカベ絵の具工場。戸山ヶ原の一本松を捜査する名探偵。牧野虎雄アトリエに見る大正の長崎風景。「厄病神」平林たい子と「救いの女神」壺井栄。最後に小泉清と会った画家。ほとんど人が歩いていない鎌倉。江戸の屋敷や商家跡から出土するもの。目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(上)目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(下)戸山ヶ原と大磯に展開するスパイ網。両神山系にオオカミの遠吠えが響く。ソビエト政権への反乱を禁じる特高。街角や風景を描く佐多稲子の表現力。アトリエ新築の直後に死去した藤川勇造。まぼろしの雑司ヶ谷「異人館」。すぐに「斬ってやる!」の高田町議会。街の情報収集としての“こころづけ”。近衛文麿への盗聴工作を終えたら敗戦に。下戸塚(西早稲田)地域の関東大震災。近所のワルガキに悩まされる中野重治。久しぶりに「Stereo Sound」を眺めると。「事故物件」へ転居してしまう小山内薫。東海道線貫通の牛頭天王社(品川大明神)。すぐに「叩っ殺してやる!」の戸塚町議会。神近市子が観察する時雨の“座”。「歌舞伎町」が女学生の街だったら。藤川栄子と佐多稲子が通う椿堂文具店。第五高女キャンパスが壊滅するまで。劉生の願いから90年後の「銀座の柳」。死ぬまでに日本橋の姿が見られるか。阿鼻叫喚からシエスタへの明治座。わたしの実家が燃えている。消えた柳橋芸者の一代記。『忠臣蔵』と『吉良きらきら』の間に。青山墓地に隣接する南青山古墳(仮)。お獅子がくるから開けときな。巽聖歌が歩く屋敷林の落ち葉焚き。このごろの鉛筆をめぐる話。妖怪譚から探る江古田周辺の古墳。陸軍中野学校の演習旅行1941年。駅売りコーヒー牛乳が流行った守山商会。織田一磨が夢みた「創作版画の大衆化」。芸妓まで勤労動員した戦争末期。大川の近くにいちゃダメだという教訓。東京大空襲より大規模だった平塚大空襲。燃料研究所に隣接した「川口文化村」。劉生が「お父さん」と慕う大和屋7代目。翔んだカップル・変なカップル。浅草寺境内の石棺と古墳群。警視庁が牛乳販促ポスターで大顰蹙。チンチンの自力健康器を愛用する藤田嗣治。江戸東京人の「4つのお願い」プロジェクト。雑司ヶ谷で結婚した正宗得三郎。関東大震災の「土産」「贈物」グラフ誌。めずらしい関東大震災ピクトリアル。(1)めずらしい関東大震災ピクトリアル。(2)めずらしい関東大震災ピクトリアル。(3)めずらしい関東大震災ピクトリアル。(4)めずらしい関東大震災ピクトリアル。(5)めずらしい関東大震災ピクトリアル。(6)小島善太郎がかいま見た長沼智恵子。誰も知らない鎌倉海岸。ブートレグより正規盤がダメなアルバム。大正期から流行ったフロート波乗り。社長が急逝して楽隠居の会長が復帰。夏目利政邸に下宿した長沼智恵子。首都圏最大クラスの大船田園都市計画。ハイゼの原から仰ぐ雑司ヶ谷異人館。10銭でできる手製料理の味は?落合地域と人が重なる菊富士ホテル。ようやく見えてきた上野山の古墳群。1945年3月11日のヴァイオリンソナタ。雑司ヶ谷で結成された「鬼子母神森の会」。陸軍科学研究所のもっとも危険な部局。目白台アパート時代の瀬戸内晴美(寂聴)。洋画家たちが惹かれた築地風景。近衛町の入口にあった目白授産場。新宿の花畑で暮らした芥川龍之介。続・ほとんど人が歩いていない鎌倉。雑司ヶ谷で暮らしたリヒャルト・ハイゼ。淀橋浄水場を描いた正宗得三郎。「巣鴨の神様」の「至誠殿」と巌本善治邸。平塚で記録された関東大震災。鬼子母神の駄菓子屋に通った秋田雨雀。長崎仲町の旧家を描く片多徳郎。バナナを手に出獄する神近市子。続々・ほとんど人が歩いていない鎌倉。1945年4月14日のヴァイオリンソナタ。絵の具がひっ迫する戦時下の画家たち。陸軍の地下壕が掘られた淀橋浄水場。なぜ駅名と地名は乖離したがるのか。下町と山手の用法がゴチャゴチャする件。戸山ヶ原の旧・陸軍コンクリート構築物。大隈重信邸門前の妖怪「枕返し」。陸軍に注文の多い初年兵たち。シラスが大漁だと漁師は泣いた。平民の子を抱くのは死ぬより辛い屈辱。中国民謡を演奏する陸軍軍楽隊。島抜けをまたかとため息つくだじま。手布と弥勒と僧都(酒と女と坊主)。葛飾北斎のヒーヒー『山満多山』。「レコード演奏家」という趣味と概念。落合周辺の風景『絵本江戸土産』。(上)落合周辺の風景『絵本江戸土産』。(下)智恵子は古墳の丘上に立ったか。家庭環境にとても恵まれた亀高文子。洞穴にひそむ落武者たちの伝説。確認や総括や了解点よりも愛してやれ。原日本が香る江古田のシシ舞い。夕立がきそうな三宅克己『諏訪の森』。上戸塚の斜面が好きな横井礼以。神田川の空を彩る染物工房の記憶。誤植が多い文展・帝展の記念絵はがき。西洋医学所と蘭疇医院の松本順。「高田馬場350番地」の金洙暎(キム・スヨン)。長崎のシシ舞いには角(つの)がある。千代田区の「千代田小学校」はまぎらわしい。怪奇映画のポスターが気になった夏。「そいや・せいや」じゃなく「わっしょい」だろ。大火災のときは手ぶらで逃げろ。女優の卒業生は出禁の女子学習院。自分を「オレ」といった目白の師匠夫人。ラジオ体操に駆逐された和式「自彊術」。目白中学校の「目白学園」構想とパンデミック。年を越せない貧乏な刀鍛冶たち。「カウヒイ」は堪えられない大田南畝(蜀山人)。弁慶は薙刀(なぎなた)など持たない。長谷川利行のスケッチブック。陸軍将校室でクロポトキンを読む立野信之。雑司ヶ谷金山の呉越同舟。日本の船舶基盤技術と目白水槽。(上)日本の船舶基盤技術と目白水槽。(下)米軍から検閲と恫喝を受ける大田洋子。江戸東京地方を色濃く体現していた親世代。『高田村誌』と『高田町史』の間に。「池袋池尻辺の女」はいまや55,000人超え。失意のなかの鶴田吾郎『長崎村の春』。1年で心を入れかえた(?)『長崎町政概要』。『高田村誌』と『高田町政概要』の間に。1930年(昭和5)に課せられた税金づくし。自意識がしっかりした子は乗り物酔いをする?近隣ではいちばんオシャレな長崎町役場。新宿歴史博物館の下にあった源清麿工房。帝展会場で見合いをする田中比左良。刀は「武士の魂」という精神論の危うさ。忘れ去られた新宿怪談「雷ヶ窪」。ラテン系サウンドが似合う神奈川の海辺。貯金が増えてうれしい「お化け大明神」。田中比左良の中央美術「漫画講座」。とんだ邪魔もの扱いの学習院と根津山。子どもを食らう深大寺の仁王。雑司ヶ谷の拝み屋は「もくず」といった。既視感のある別荘地・大磯の古写真。(上)既視感のある別荘地・大磯の古写真。(下)山田五十鈴と杉村春子のガールズ(?)トーク。若いころのJAZZ喫茶めぐりのことなど。ストレスがたまると堪忍袋の緒がゆるむ。矜持をもつ大人はとてもカッコよかった。もっとも早い時期の「武蔵野」写真集。1938年(昭和13)の日本本土への初空襲。ニッキ飴の匂いと吉永小百合の記憶。飛行機から「塑画」を制作する田中比左良。古墳の盗掘がそのまま伝承されたタタリ譚。21世紀には「寺じまい」が加速する。ネコを「虎」と強弁する大橋の見世物小屋。「心霊相談」と「事故物件」に寺はどう向きあうか。佐々木喜善と森口多里の「馬鹿婿噺」。寺院からの離脱現象が止まらない理由。タタリ話や呪い譚が盗掘を防いだ古墳。忘れられた江戸東京の昔話。下落合駅と野方駅を描く鳥居敏文。東京に残るマーケットと東京牧場の面影。好きなものが好きでないとルノワールはいった。妖怪学講義から100年後でも「幽体離脱」。落合地域の周辺で設計された昭和初期住宅。文学座アトリエの杉村春子。「江戸へいってくら」「東京へいってくら」。資料によく登場する江戸川アパートメント。近衛騎兵連隊の敷地を割譲させた石井機関。劉生日記にみる体調と地震の気になる関係。下町で和栗のマロンパフェ食べくらべ。昔の下落合によく似る成城のハケ沿い。雑音や音楽で読書がはかどる喫茶店。紀ノ川沿岸と浅草の地名相似。昭和初期の山手線めぐりと忘れ物。いくつになっても古書店めぐり。桜餅めざして隅田川を芝居散歩。知らないけど懐かしい目白風景1964。「目白会」と「五月会」で検挙された華族たち。タイは序の口の魚通・食通がたくさんいた。子どものころから使いつづけるモノ。「日本心霊学会」のスムーズな転身。女の子たちが遊べない街づくり。「不良華族事件」と首相官邸のトンネル工事。ウナギを食べると頭がハキハキする件。陸軍科学研究所の「安達部隊」1933。東京府知事だった千家尊福の仕事。中央線の脇に立つ焦土新宿のピラミッド。首相官邸のトンネル「溜池ルート」について。お化け屋敷はグローバルに未来へとつづく。鉄剣と金属にまつわる怖い話。陽咸二の「別嬪」大好きは誰かに似ている。誰ノ御蔭デコンナ罹災者ニナツタンダ。大空襲の遺体が地表へ這いあがる話。姥島の烏帽子岩が「三角岩」になるまで。実は美味しい“冷や飯喰らい”の妙。陸軍に“占拠”される以前の戸山ヶ原の情景。コーヒーが欲しい敗戦国と緑茶が欲しい米軍。再びどこだかわからない山と渓流の写真。女子聴講生にはじまる女子学生への道。伊勢丹デパートガールの第1期生の証言。哲学堂を見学したあと妙正寺川で遊泳。学習院女子部の下校時に結婚希望者と面接。「僕」って何?&「ざんす」が山手言葉だって?箱根土地の社員と結婚した女性の話。アナキスト望月百合子という生き方と思想。喫茶店が不良のたまり場なんて知らない。下練馬の「シクジツケミ」と「ハネサワ」再考。いろは牛肉店の木村荘八とその周辺。下練馬村の氷川明神社と小名「丸山」。あまりにもあからさまな下練馬地域のフォルム。落合とは反対側の渋谷を描く花沢徳衛。福沢諭吉の幽霊は乃木希典に猛抗議したか。カメラマン徳川慶喜が写した目白崖線沿い。高田町を散策する俣野第四郎と三岸好太郎。明治期に困窮する刀鍛冶たちのその後。板倉須美子はオアフ島に戦艦を浮かべる。状況の“先読み”ができなかったオレ。ヒッチコックの『裏窓』から烏帽子岩が見える。大川(隅田川)の河口に浮かぶ白い手。ほんとうに古城のような外観の目白市場。ネコ10匹に囲まれた木村荘八の生活。鎌倉で「相模湾風景」を描いた有島生馬。バックキャスト的に歴史を想像してみる。【緊急】 佐伯祐正の「善隣館」支援について。気になる加賀藩前田家上屋敷の椿山古墳。名画は左光線が多いと三岸好太郎。佐伯米子と向田邦子の「近似性」について。高田馬場駅が起点のダット乗合自動車1931年。大正末の展覧会で売られた絵画の値段。「国家安康」で浮かんだ江戸東京のアンコウ鍋。土門拳の砂糖たっぷりコーヒーは気持ち悪い。里見勝蔵『下落合風景』(1920年/権兵衛山)曾宮一念『夕日の路』(1923年/諏訪谷)宮本恒平『吾家の庭』(1938年/第二文化村)刑部人『花開く』(1975年/アビラ村)