わたしの落合町誌/風物語

物語

過去は未来を照射する。

わが目をうたがったコンサート。

下落合、タヌキの通い路

研師という仕事。

邪魔するんじゃないよ、どきな!

溶けた十銭銅貨。

「下落合みどりトラスト基金」について

テレビが映らないんです

認知された下落合ダヌキ。

目白駅に残る階段の匂い。

消えた武蔵野鉄道「上屋敷」駅。

いつも垢抜けない高田馬場駅。

さまよえる不動谷。

タカタノババと「タカダノババ」。

タヌキ君は意外に大きい。

この眺めを失いたくない。

とうとうわが家にもタヌキが出た。

学習院馬場の白馬。

「ミーム理論」と街の遺伝子。

空襲下、非国民のダンスパーティが始まった。

この踏み切りがわからない。

「有りもせぬことを言触らすと処罰されます」。

住民に罵声をあびせる「説明会」?

つぶしてしまおう、「補助73号線」計画

「徳川邸」へいらっしゃい。

昭和初期の下落合広告「大黒葡萄酒」。

昭和初期の下落合広告「落合信用組合」。

戦後すぐの下落合広告「ミツワ石鹸」。

戦後すぐの下落合広告「三越」。

戦後すぐの下落合広告「虎屋黒川」。

戦後すぐの下落合広告「日本麦酒」。

ページ全段が不倫騒動の朝日新聞。

運営費の削減にご協力を。

謎が謎よぶ鼠山。

大きくなった下落合ダヌキ。

感応寺はほんとうに「官能寺」だったのか?

高田馬場に血煙は立ったか?

70年前、大雪の下落合。

気になる文化村風景。

椎名町のみなさん、ありがとう。

まぼろしの目白「戸田邸」を見つけた。

空襲直前の下落合・1944(昭和19)

空襲直前の目白文化村・1944年(昭和19)

これじゃ、ちょっと気づきません。

ローカリズムを突き詰めると・・・。

上落合は芸術のルツボだ。

下落合の大六天と第六天。

散歩してると牧場に出合える町。

『池袋モンパルナス』を城西学園で観た。

鶴田吾郎のアトリエが消えた。

中井のみなさん、ありがとう。

タヌキの赤ちゃんばかりじゃないよ。

なにが消えたか、なにを残すか。

中国語と石が飛びかう目白通り。

川島芳子もいた妖しげな下落合。

下落合駅の小林多喜二。

むかし聞いた足音が聞こえる。

池上から目白までつづく光の帯。

鶴田吾郎の地蔵堂アトリエ写真。

東京市街から見た文化村イメージ。

洗足田園都市と目白文化村。

牛乳瓶の鳴る音とともに。

目白駅近くの「サイタ」さんの庭にて。

薬王院門前のクリスマスツリー。

「赤い鳥社」発祥地はライトの小路だった。

目白通りにいた麗子。

岸田劉生に褒められた村山知義。

さようなら、パンの「神田精養軒」。

こんにちは、「ローリングピン」さん。

すぐに「なぐってやる!」の岸田劉生。

村山籌子は夫になんと罵られたのか?

東亜同文書院の尾崎秀実とゾルゲ。

御船千鶴子が目白にやってきた。

画家たちへの奇妙なアンケート調査。

長崎町の新年凧揚げ大会。

今度は校庭で投石合戦なのだ。

火事をさえぎる大イチョウ。

“中年殺し”の歌なのだけれど。

孫文が潜伏した長屋門屋敷。

「東亜同文書院大学」展へ出かけた。

“フーテンとしゆき”の頭が白くなる文章。

昭和初期の下落合ブームは?

こんにちは、メーヤー館。

新宿で暴れた武家の代償。

妙正寺川の水源に架かる落合橋。

ピンポンダッシュの三角アトリエ。

どこまでも歩け歩けの壺井栄。

黒めがねの旦那の「パリ正宗」。

キングミルクが人気の安達牧場。

上落合「大分村」の吉武東里邸。

40年後にきた尾崎翠の衝撃。

不可解な尾崎翠の「旧居跡」。

湘南で踊る自由ヶ丘学園のみなさん。

上落合850番地の尾崎翠宅を拝見。

納豆と清水で結核は治るか?

目白にもあったオール電化の家。

郊外へ郊外へ大正の田園生活。

吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(上)

吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(下)

旧山手の西片町を歩いてみる。

大泉学園の街を歩いてみる。

ここまでパクるか「あめりか屋」。

化粧室を夢みる彼女たち。

町火消しに「へらひ」は当然あった。

江戸の「すき焼き」と明治の「牛鍋」。

「日本は敗ける」と海軍将校は言った。

昭和初期のキッチン革命。

小林多喜二にチケットを渡したのは誰?

深夜の街からこんにちは。

人がよく死ぬ明治時代。

貴重な街並みを実感する日々。

散策マップへちょっとイタズラ。

いよいよ写真展が始まる。

目白・下落合の写真展がスタート

写真展が終わってしまった。

「歴史的建物のある散歩道マップ」Update

ダイクストラのシベリウスが素晴らしい。

秋のそよ風に漂うコールタール。

肝だめしでは見えない三宝池の美。

「知りたい知らせたいコンサート」in下落合。

目白駅を出たら100mの鉛筆ビルだって?

明治から東京人のあこがれ・大磯。

大滝も池もない角筈熊野十二社。

特報!タヌキの森裁判が全面勝訴。

33年ぶりにこんにちは、ミツワ石鹸。

ベトナム解放闘争と下落合・東京同文書院。

広い東京恋すりゃせまい。

近ごろの大学はちょっと変。

水道料金が31%値上げのパニック。

タヌキの森の両義性に象徴されるもの。

画家たちが見た二二六事件。

しつこいですが東京大空襲64年目。

豊島区にお詳しい“オジサン”は誰?

気になる東京路上の↑マーク。

小雨が降りそぼる青山の夜は・・・。

ガブ好きにはたまらない鬼子母神。

“風”が吹いている生活空間。

青山の女子学習院を見学する。

絶滅危惧種のウグイスとトンビ。

昭和初期のバス通りの風景。

帝大地下室で待っていた宮武外骨。

戦争がしのびよる旧・椎名町界隈。

場所不明な昭和初期の界隈写真。

あまり見かけなくなった絵画教室。

打ち上げ花火を気にする世代。

下落合を吹きぬけた嵐。

ご近所の富士山へ登ってみる。

68年ぶりの再訪・明治新聞雑誌文庫。

戸山ヶ原にあった怪人二十面相の隠れ家。

つぶしてしまおう「補助73号線」再び。

岸田劉生が描く銀座カフェ「KUMOTORA」。

特報!最高裁で下落合住民側が全面勝訴。

そんなに「高」くしなさんな。

前掛けキャンバスに描かれた雲龍図。

「橘」薫る東日本橋の風。

すべての日本地図の水準原点標。

ソースカツ丼と和風カツ丼の物語。

開発が進む昭和初期の長崎界隈。

下落合の水車小屋は大丈夫だった?

映画「洛西館」の前にあった町内運動場。

「久保」や「窪」の地名から見えること。

「標準語」は東京弁じゃないってば。

300万人のご訪問ありがとうございます。

補助73号線のために中央図書館がどく?

長崎物語の糸が結びついていく。

アユがカムバックしはじめた神田川。

山東京伝の「青」と養殖うなぎの「アオ」。

佐多稲子のルポ・戸山アパート1953年。

平和博文化村のモデルハウス14棟。

早稲田通りから下落合が見えない。

あなたは、嘘ばかりついてゐました。

セイヨウタンポポを描く尾形光琳。

将門の繋馬羽織で「祟られ」た旗本。

岸田劉生が洛西館へやってきた。

南房総へ惹かれる画家たち。

旧・陸軍東京第一衛戍病院へ入院しよう。

シュールな寺田政明と「田所博士」。

不可解な諏訪通りガードのトンネル工事。

人気で大混雑の美術展覧会。

戸山ヶ原へもう少し深入り。

久しぶりに馬の匂いをかぎたくて。

補助73号線で消える風景。(下落合編)

戸山の軍医学校へあとちょっと深入り。

大久保射撃場の設計図を入手した。

できたて大久保射撃場の落書き事件。

目白にあった八甲田の雪中行軍写真。

劉生日記にみる関東大震災の予兆。

あまりにもリアルな貝原浩『風しもの村』。

画家たちのDV(家庭内暴力)

明治期にみる江木写真館の仕事。

「蕎麦食いねえ」の国際聖母病院ゲットー。

関東大震災について書きためた記事を整理。

鉄道停車場の反対運動あれこれ。

早稲田大学にだまされた岸田劉生。

大震災復興絵葉書にわが家を見つけた。

猛烈なスピードの大震災鉄道網の復旧。

軍馬「保管」ならエサ代ぐらい出してよ。

400万人のビジターのみなさんありがとう。

劉生のカモネギになった斎藤清二郎。

熊楠と晩花と外骨と龍門と。

置行堀のオバケとバッケとボケとフキ。

空襲に備えた「淀橋区建物疎開地区図」(秘)

武井武雄が記録した空襲怪談・異聞。

明治期に撮影された空中写真。

高峰秀子がくぐる「浮雲ガード」。

「大神X」のオオカミちがいにがっかり。

円朝が語る百物語の内藤新宿。

樹齢数百年の大ケヤキが折れた。

欧米の発明家を称揚する『日本鉄道物語』。

椎名町と下落合界隈の「グラビアアイドル」。

無事に戦後を迎えられただろうか?

解体した屋根が元にもどせないんです。

大震災で露呈した政府システムのBCP欠如。

めぐみ深川情け有馬の水天宮。

「Chinchiko Papalog」をや~めた!

戦後は一気にはじけた若者たち。

戦後と見まごう黒田小学校卒業アルバム。

どこだか不明な下落合の祭礼写真。

嵐の前の静けさが漂う雪景色・椎名町。

娯楽はなんでもありの演芸場「目白亭」。

黒田清輝の裸体画を拒否した東京メトロ。

大江戸の水道インフラと「名水」井戸。

戸塚町諏訪66番地の松浦武四郎。

「草津温泉」と一般銭湯とのちがい。

『新・東京大観』でパスされた落合写真。

五月のそよ風はゼリーにできない。

顰蹙をかった乃木希典院長の講義。

武蔵野鉄道もセメントを運びたい。

怒る秦早穂子の「勝手にしやがれ」。

下落合まであと一息のアユの遡上。

津波被害が透けて見える東京大洪水。

目白の戸田邸は大温室が自慢。

雑司ヶ谷鬼子母神と富士見茶屋。

高田馬場駅発の小田急線狛江行き。

湘南に上陸するマリンコングのトラウマ。

『雑記帳』にみる下落合の因業不在地主。

舞台で憑依したアンナ・パブロワの幽霊。

バスガールたちのデモを襲った警察は?

目白通りを往来した伊藤ふじ子。

漫画講座まであったプロレタリア美術研究所。

江戸東京の3大水菓子パフェ店について。

大正時代にもあった省エネへの取り組み。

美術家たちを惹きつけた藤川アトリエ。

蕎麦いらぬ「うなぎ」入谷の鬼子母神。

『高田村誌』と『高田町史』との間に。

雑司ヶ谷の坂を下る山田五十鈴。

バラック装飾社と今和次郎の仕事。

きれいな神田川でさっそく水遊び。

膨大な作品が欠落したままの漫画史。

落合町防護団の分団名簿をいただいた。

星野家に残る目白文化村の空襲記録。

早稲田大学のみなさん、ありがとう。

杉並へ移る画家、杉並から帰る画家。

なんてこった、まったくなんてこった。

もう少しで消えそうな「もしもし」。

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昭和初期の散策・ハイキングブーム到来。

上落合から六番町への大熊喜邦。

みなさん、お送りいただきありがとう。

久しぶりの多摩湖でコンクリート散歩。

久しぶりの“ももんじ屋”で舌鼓。

非「動」的な本とリンゴ本大作戦。

佐多稲子のルポ・東京遊覧バス1988年。

高田馬場風景を連作した横井礼以。

中井英夫とわたしの西荻感覚のちがい。

静物画がオバケになってしまう小出楢重。

さようなら、「カフェ杏奴」さん。

二二六事件の朝は電車が動いていた。

水不足に悩んだ神奈川県の象徴。

JAZZめぐりと丘上散歩の学生バイト。

だらだら芝神明の熱い大喧嘩。

陸軍士官学校で配られた写真。(1)

陸軍士官学校で配られた写真。(2)

陸軍士官学校で配られた写真。(3)

陸軍士官学校で配られた写真。(4)

陸軍士官学校で配られた写真。(5)

陸軍士官学校で配られた写真。(6)

江戸時代から96年間の1月22日。

我孫子へ出かける洋画家たち。

プロレタリア美術家たちが描く「風景」。

三岸好太郎が描いた妙正寺川。

三岸好太郎と家庭購買組合。

大正時代に流行った興信所の仕事。

三岸節子の狐塚下宿跡を訪ねる。

大磯の三岸節子アトリエを訪ねる。

落合第四小学校の学童集団疎開。

1930年協会から独立美術協会へ。

波乱万丈だった聖母坂のパン屋さん。

日本初のマンガ講座講師は八島太郎。

目白の怖い夜。

音楽好きな“タッタ叔父ちゃん”の最期。

ハツタケと赤ワインは合うだろうか。

二宮尊徳の貯金箱と三岸好太郎の蝶。

画家たちの第一歩を伝える『中央美術』。

強固な“女縁”は終生つづく。

目白駅周辺で目撃された中国兵。

85歳の小島善太郎へ檄を飛ばす里見勝蔵。

ルンバもサンバもボサノバもある珈琲。

街の風情という「景観法」の視座から。

鬼頭鍋三郎と柳瀬正夢はアトリエ隣人。

ブログ9年・過ぎし日々のセレナーデ。

深夜に聴く小学生のあこがれサウンド。

神田川(外濠)を下って大川(隅田川)へ。

空襲で全焼した井荻の外山邸。

下落合の旗行列と提灯行列コース。

旧乃手で見かける町火消しの事蹟。

いざ生きめやもの宮柊二。

松下春雄の『庭先』と大澤海蔵の『初秋』。

「ぶつた斬つて見ろ」と潮五郎はいった。

標語「アメリカ人をぶち殺せ!」の1944年。

古墳だらけの谷端川・小石川流域。

頻繁に登場する富士見高原療養所。

下谷(上野)の「うまいもん」めぐり。

もはや建設理由がない補助73号線。

三岸好太郎と中村伸郎と向田邦子。

泣いてたまるかの八島太郎(岩松淳)

「なめくぢ横丁」の名づけ親は誰か?

マリ子ハ御宅ヘ遊ビニ来ヌ。

海の匂いがする笠原吉太郎『房州』。

墓参りで散策する小日向第六天町。

全方位マーケティングの日本橋三越。

「文化生活」の丸ごと提唱雑誌『住宅』。

落合地域も得意先だった浅尾沸雲堂。

大家にめぐまれれた中野重治。

『蝶と貝殻』の面白さと美しさ。

昔とはちがう現代学生気質(かたぎ)

『住宅』1935年2月号にみる三岸アトリエ。

豊島区が記録したプロレタリア美術学校。

『長崎町誌』に感じてしまう違和感。

飯野農夫也の“なめくぢ横丁”生活。

陸上の游泳演習にこだわる陸軍戸山学校。

隣りの席だった寺崎マリ子。

国家による身近な“これでもか”統制。

ヤギ牧場と家族は1トン爆弾で消えた。

宮崎モデル紹介所の物語。(上)

宮崎モデル紹介所の物語。(下)

美術研究所に架けられた黒澤明の300号。

先端マネキンガールたちのストライキ。

エスカルゴは夜明けの海を何度見たか。

「ハチキレさうに肥えた子供」は健康的か?

和宮の身代りと目白の新倉家。(上)

和宮の身代りと目白の新倉家。(下)

『武蔵野』と『武蔵野夫人』のリアリティ。

幻の最高峰だったアムネマチン。

さて、西洋館のお掃除がコマッタ。

動物ビジネスが盛んな目白界隈。

牧野虎雄のタコ揚げ場所は?

川村女学院の「♪お帰りなさいませ~」。

ネコ5匹と暮らすアル中の甲斐仁代。

昨年の秋から今年の冬への徒然。

洗足田園都市は消えていない。

1945年(昭和20)3月10日午前0時8分。

関東大震災の渋谷丘陵にみる震動。

岩松淳(八島太郎)と飯野農夫也の漫画論。

誤爆だらけのドーリットル隊初空襲。

昭和初期の投機的なハト狂想曲。

大正期のニンニク療法とサプリメント。

児童文学の宝庫としての三岸アトリエ。

目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(上)

目白駅の橋上駅化は1922年(大正11)。(下)

大震災まで賑わった両国広小路。

けしからぬ大正時代の事件いろいろ。

「どんど焼き」=「せいとばれえ」と街道名。

炎が火焔放射器のようにやってくる。

夏は潮風と火薬までが匂った。

鉄道を敷設しないなら免許取り消し。

目白崖線の入江と貝塚と「白鳥池」。

家内が修羅の中條百合子邸訪問。

『新宿区の100年』の修正箇所3つ。

時代劇の映画ロケ隊はどこから?

どこへもどるのか上落合「もどり橋」。

白蓮が火をつけた大正期の離婚論議。

有楽町で逢いたくなんかないわ。

お岩さんの家は目白のどこだ?

江戸川乱歩の転居先を追いかける。

戸山ヶ原で生まれた「陸軍中野学校」。

古いアルバムを眺めていると。

煙突の形状が気になる陸軍科学研究所。

大磯のヨハンセンを諜報・監視せよ。

居間や応接室には全集本があった。

事故が頻発していた陸軍科学研究所。

戦前のアルバムにみる日本橋の人々。

大正期からの神高橋はなぜ斜め?

戸山ヶ原の陸軍科学研究所跡を歩く。

江戸東京方言でも七は「ひち」だ。

外では「虚空」を貫いたポルカ老人。

「鶏鳴坂」に朝霧がたなびいた。

大正中期の目白駅前にあった店舗。

生産過剰だった関西セメント事業の消費先。

戸山ヶ原で遊ぶ上落合の子どもたち。

「新道」は「じんみち」ではないかと。

杉並区和田堀にあった「小唄学校」。

鷺宮の小泉清アトリエを拝見する。

秋山清のヤギ牧場と裕福な「乞食村」。

チャコちゃんが池袋にやってくるまで。

神田川で泳げる日はいつごろか?

大橋の橋桁崩落からもうすぐ120年。

「赤線」がもらえた水練場の進級試験。

大久保文学倶楽部と洋画展覧会。

下落合の製本工場が支えた円本ブーム。

池袋西口の酒場「炎」のゆくえ。

新宿区が補助73号線を実質止めた?

西北の曇天に黒い旗がはためくを見た。

大ヒットした陽咸二の南京豆芸術。(上)

大ヒットした陽咸二の南京豆芸術。(下)

釣りはフナにはじまりフナに帰るものか。

江戸期へたどるニホンオオカミ伝承。

目黒鬼子母神の正岡と大塚山の墳丘。

「眉目秀麗・挙止端正」な画家・田口省吾。

郊外へとつづくトンネルはあったか?(上)

郊外へとつづくトンネルはあったか?(下)

長崎で焼け残ったクサカベ絵の具工場。

戸山ヶ原の一本松を捜査する名探偵。

牧野虎雄アトリエに見る大正の長崎風景。

「厄病神」平林たい子と「救いの女神」壺井栄。

最後に小泉清と会った画家。

ほとんど人が歩いていない鎌倉。

江戸の屋敷や商家跡から出土するもの。

目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(上)

目白・落合地域よりもすごい目黒駅東。(下)

戸山ヶ原と大磯に展開するスパイ網。

両神山系にオオカミの遠吠えが響く。

ソビエト政権への反乱を禁じる特高。

街角や風景を描く佐多稲子の表現力。

アトリエ新築の直後に死去した藤川勇造。

まぼろしの雑司ヶ谷「異人館」。

すぐに「斬ってやる!」の高田町議会。

街の情報収集としての“こころづけ”。

近衛文麿への盗聴工作を終えたら敗戦に。

下戸塚(西早稲田)地域の関東大震災。

近所のワルガキに悩まされる中野重治。

久しぶりに「Stereo Sound」を眺めると。

「事故物件」へ転居してしまう小山内薫。

東海道線貫通の牛頭天王社(品川大明神)

すぐに「叩っ殺してやる!」の戸塚町議会。

神近市子が観察する時雨の“座”。

「歌舞伎町」が女学生の街だったら。

藤川栄子と佐多稲子が通う椿堂文具店。

第五高女キャンパスが壊滅するまで。

劉生の願いから90年後の「銀座の柳」。

死ぬまでに日本橋の姿が見られるか。

阿鼻叫喚からシエスタへの明治座。

わたしの実家が燃えている。

消えた柳橋芸者の一代記。

『忠臣蔵』と『吉良きらきら』の間に。

青山墓地に隣接する南青山古墳(仮)

お獅子がくるから開けときな。

巽聖歌が歩く屋敷林の落ち葉焚き。

このごろの鉛筆をめぐる話。

妖怪譚から探る江古田周辺の古墳。

陸軍中野学校の演習旅行1941年。

駅売りコーヒー牛乳が流行った守山商会。

織田一磨が夢みた「創作版画の大衆化」。

芸妓まで勤労動員した戦争末期。

大川の近くにいちゃダメだという教訓。

東京大空襲より大規模だった平塚大空襲。

燃料研究所に隣接した「川口文化村」。

劉生が「お父さん」と慕う大和屋7代目。

翔んだカップル・変なカップル。

浅草寺境内の石棺と古墳群。

警視庁が牛乳販促ポスターで大顰蹙。

チンチンの自力健康器を愛用する藤田嗣治。

江戸東京人の「4つのお願い」プロジェクト。

雑司ヶ谷で結婚した正宗得三郎。

関東大震災の「土産」「贈物」グラフ誌。

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(1)

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(2)

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(3)

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(4)

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(5)

めずらしい関東大震災ピクトリアル。(6)

小島善太郎がかいま見た長沼智恵子。

誰も知らない鎌倉海岸。

ブートレグより正規盤がダメなアルバム。

大正期から流行ったフロート波乗り。

社長が急逝して楽隠居の会長が復帰。

夏目利政邸に下宿した長沼智恵子。

首都圏最大クラスの大船田園都市計画。

ハイゼの原から仰ぐ雑司ヶ谷異人館。

10銭でできる手製料理の味は?

落合地域と人が重なる菊富士ホテル。

ようやく見えてきた上野山の古墳群。

1945年3月11日のヴァイオリンソナタ。

雑司ヶ谷で結成された「鬼子母神森の会」。

陸軍科学研究所のもっとも危険な部局。

目白台アパート時代の瀬戸内晴美(寂聴)

洋画家たちが惹かれた築地風景。

近衛町の入口にあった目白授産場。

新宿の花畑で暮らした芥川龍之介。

続・ほとんど人が歩いていない鎌倉。

雑司ヶ谷で暮らしたリヒャルト・ハイゼ。

淀橋浄水場を描いた正宗得三郎。

「巣鴨の神様」の「至誠殿」と巌本善治邸。

平塚で記録された関東大震災。

鬼子母神の駄菓子屋に通った秋田雨雀。

長崎仲町の旧家を描く片多徳郎。

バナナを手に出獄する神近市子。

続々・ほとんど人が歩いていない鎌倉。

1945年4月14日のヴァイオリンソナタ。

絵の具がひっ迫する戦時下の画家たち。

陸軍の地下壕が掘られた淀橋浄水場。

なぜ駅名と地名は乖離したがるのか。

下町と山手の用法がゴチャゴチャする件。

戸山ヶ原の旧・陸軍コンクリート構築物。

大隈重信邸門前の妖怪「枕返し」。

陸軍に注文の多い初年兵たち。

シラスが大漁だと漁師は泣いた。

平民の子を抱くのは死ぬより辛い屈辱。

中国民謡を演奏する陸軍軍楽隊。

島抜けをまたかとため息つくだじま。

手布と弥勒と僧都(酒と女と坊主)

葛飾北斎のヒーヒー『山満多山』。

「レコード演奏家」という趣味と概念。

落合周辺の風景『絵本江戸土産』。(上)

落合周辺の風景『絵本江戸土産』。(下)

智恵子は古墳の丘上に立ったか。

家庭環境にとても恵まれた亀高文子。

洞穴にひそむ落武者たちの伝説。

確認や総括や了解点よりも愛してやれ。

原日本が香る江古田のシシ舞い。

夕立がきそうな三宅克己『諏訪の森』。

上戸塚の斜面が好きな横井礼以。

神田川の空を彩る染物工房の記憶。

誤植が多い文展・帝展の記念絵はがき。

西洋医学所と蘭疇医院の松本順。

「高田馬場350番地」の金洙暎(キム・スヨン)

長崎のシシ舞いには角(つの)がある。

千代田区の「千代田小学校」はまぎらわしい。

怪奇映画のポスターが気になった夏。

「そいや・せいや」じゃなく「わっしょい」だろ。

大火災のときは手ぶらで逃げろ。

女優の卒業生は出禁の女子学習院。

自分を「オレ」といった目白の師匠夫人。

ラジオ体操に駆逐された和式「自彊術」。

目白中学校の「目白学園」構想とパンデミック。

年を越せない貧乏な刀鍛冶たち。

「カウヒイ」は堪えられない大田南畝(蜀山人)

弁慶は薙刀(なぎなた)など持たない。

長谷川利行のスケッチブック。

陸軍将校室でクロポトキンを読む立野信之。

雑司ヶ谷金山の呉越同舟。

日本の船舶基盤技術と目白水槽。(上)

日本の船舶基盤技術と目白水槽。(下)

米軍から検閲と恫喝を受ける大田洋子。

江戸東京地方を色濃く体現していた親世代。

『高田村誌』と『高田町史』の間に。

「池袋池尻辺の女」はいまや55,000人超え。

失意のなかの鶴田吾郎『長崎村の春』。

1年で心を入れかえた(?)『長崎町政概要』。

『高田村誌』と『高田町政概要』の間に。

1930年(昭和5)に課せられた税金づくし。

自意識がしっかりした子は乗り物酔いをする?

近隣ではいちばんオシャレな長崎町役場。

新宿歴史博物館の下にあった源清麿工房。

帝展会場で見合いをする田中比左良。

刀は「武士の魂」という精神論の危うさ。

忘れ去られた新宿怪談「雷ヶ窪」。

ラテン系サウンドが似合う神奈川の海辺。

貯金が増えてうれしい「お化け大明神」。

田中比左良の中央美術「漫画講座」。

とんだ邪魔もの扱いの学習院と根津山。

子どもを食らう深大寺の仁王。

雑司ヶ谷の拝み屋は「もくず」といった。

既視感のある別荘地・大磯の古写真。(上)

既視感のある別荘地・大磯の古写真。(下)

山田五十鈴と杉村春子のガールズ(?)トーク。

若いころのJAZZ喫茶めぐりのことなど。

ストレスがたまると堪忍袋の緒がゆるむ。

矜持をもつ大人はとてもカッコよかった。

もっとも早い時期の「武蔵野」写真集。

1938年(昭和13)の日本本土への初空襲。

ニッキ飴の匂いと吉永小百合の記憶。

飛行機から「塑画」を制作する田中比左良。

古墳の盗掘がそのまま伝承されたタタリ譚。

21世紀には「寺じまい」が加速する。

ネコを「虎」と強弁する大橋の見世物小屋。

「心霊相談」と「事故物件」に寺はどう向きあうか。

佐々木喜善と森口多里の「馬鹿婿噺」。

寺院からの離脱現象が止まらない理由。

タタリ話や呪い譚が盗掘を防いだ古墳。

忘れられた江戸東京の昔話。

下落合駅と野方駅を描く鳥居敏文。

東京に残るマーケットと東京牧場の面影。

好きなものが好きでないとルノワールはいった。

妖怪学講義から100年後でも「幽体離脱」。

落合地域の周辺で設計された昭和初期住宅。

文学座アトリエの杉村春子。

「江戸へいってくら」「東京へいってくら」。

資料によく登場する江戸川アパートメント。

近衛騎兵連隊の敷地を割譲させた石井機関。

劉生日記にみる体調と地震の気になる関係。

下町で和栗のマロンパフェ食べくらべ。

昔の下落合によく似る成城のハケ沿い。

雑音や音楽で読書がはかどる喫茶店。

紀ノ川沿岸と浅草の地名相似。

昭和初期の山手線めぐりと忘れ物。

いくつになっても古書店めぐり。

桜餅めざして隅田川を芝居散歩。

知らないけど懐かしい目白風景1964

「目白会」と「五月会」で検挙された華族たち。

タイは序の口の魚通・食通がたくさんいた。

子どものころから使いつづけるモノ。

「日本心霊学会」のスムーズな転身。

女の子たちが遊べない街づくり。

「不良華族事件」と首相官邸のトンネル工事。

ウナギを食べると頭がハキハキする件。

陸軍科学研究所の「安達部隊」1933

東京府知事だった千家尊福の仕事。

中央線の脇に立つ焦土新宿のピラミッド。

首相官邸のトンネル「溜池ルート」について。

お化け屋敷はグローバルに未来へとつづく。

鉄剣と金属にまつわる怖い話。

陽咸二の「別嬪」大好きは誰かに似ている。

誰ノ御蔭デコンナ罹災者ニナツタンダ。

大空襲の遺体が地表へ這いあがる話。

姥島の烏帽子岩が「三角岩」になるまで。

実は美味しい“冷や飯喰らい”の妙。

陸軍に“占拠”される以前の戸山ヶ原の情景。

コーヒーが欲しい敗戦国と緑茶が欲しい米軍。

再びどこだかわからない山と渓流の写真。

女子聴講生にはじまる女子学生への道。

伊勢丹デパートガールの第1期生の証言。

哲学堂を見学したあと妙正寺川で遊泳。

学習院女子部の下校時に結婚希望者と面接。

「僕」って何?&「ざんす」が山手言葉だって?

箱根土地の社員と結婚した女性の話。

アナキスト望月百合子という生き方と思想。

喫茶店が不良のたまり場なんて知らない。

下練馬の「シクジツケミ」と「ハネサワ」再考。

いろは牛肉店の木村荘八とその周辺。

下練馬村の氷川明神社と小名「丸山」。

あまりにもあからさまな下練馬地域のフォルム。

落合とは反対側の渋谷を描く花沢徳衛。

福沢諭吉の幽霊は乃木希典に猛抗議したか。

カメラマン徳川慶喜が写した目白崖線沿い。

高田町を散策する俣野第四郎と三岸好太郎。

明治期に困窮する刀鍛冶たちのその後。

板倉須美子はオアフ島に戦艦を浮かべる。

状況の“先読み”ができなかったオレ。

ヒッチコックの『裏窓』から烏帽子岩が見える。

大川(隅田川)の河口に浮かぶ白い手。

ほんとうに古城のような外観の目白市場。

ネコ10匹に囲まれた木村荘八の生活。

鎌倉で「相模湾風景」を描いた有島生馬。

バックキャスト的に歴史を想像してみる。

【緊急】 佐伯祐正の「善隣館」支援について。

気になる加賀藩前田家上屋敷の椿山古墳。

名画は左光線が多いと三岸好太郎。

佐伯米子と向田邦子の「近似性」について。

高田馬場駅が起点のダット乗合自動車1931年。

大正末の展覧会で売られた絵画の値段。

「国家安康」で浮かんだ江戸東京のアンコウ鍋。

土門拳の砂糖たっぷりコーヒーは気持ち悪い。

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里見勝蔵『下落合風景』(1920年/権兵衛山)

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曾宮一念『夕日の路』(1923年/諏訪谷)

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宮本恒平『吾家の庭』(1938年/第二文化村)

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刑部人『花開く』(1975年/アビラ村)